弁護士についての最近のブログ記事

先日、韓国のドラマで医師の医療行為をテーマにしたドラマを見ました。患者や家族の身勝手なクレームが絶えない。「こちらが先に来たのにどうして手術を後回しにするのか」、「中途半端にしかできない手術ならどうして引き受けたのだ」、「もう1時間も待たされている。ほったらかしにされている」等々、これに担当医師がいらついて、つい嫌みや口答えをする。これに対して主人公の外科長の医師は「患者の家族に謝ってこい」と担当医師に指示する。医師にとって全く差別なく、平等に治療していることが、患者には不平等に見える。VIPに特別扱いをして庶民は後回しにされていると感じる。医師の感覚と患者やその家族の感覚は異なる。医師にとっては最善を尽くす過程が重要なのに、患者に取っては、結論のみが重要なのだ。医師が不当な非難を受けることについて、医科長の医師は「医師はメスで人の体に傷を入れるからだ」という。普通の人には許されない傷害行為が許されているからだという。弁護士も同じである。依頼者は、常に不信の目で弁護士を見ている。それは弁護士が医師の振るうメスのように、人の不幸に法的手段で介入し、人の人生をいじくり回し、依頼者の納得のいかない結論が出ても、これで終わりましたと高額な報酬を請求するからである。そして、医師にとって患者の治療結果が他人事であるように、弁護士にとって、依頼者が有罪であろうが、実刑であろうが、何百万円の支払義務を負うことになろうが、どのような判決が出ても、弁護士自身が刑務所に入ることもないし、金銭を支払うことはない。その意味では「他人事」だからである。医師がそうであるように、裁判という国家から与えられた法的メスを振るう弁護士が感謝されず、誤解され、恨まれ、非難されることはある意味で当然のことであり、これを憎んではいけないし、依頼者を非難してはいけない。弁護士のできることは事情を説明し、理解を求めるのみである。そして何より、誠実に一生懸命事件を処理し、信頼関係を維持できるように努力する事しかできないのである。

山口県光市の母子殺害事件のような残忍な事件で、どうしてあんな極悪な犯人の弁護をするのか。巷では、こうした弁護士の活動に疑問を抱く方が多くいます。こうした疑問が起きるのは、実は健全な一般の市民は、自分は犯罪に無縁だと考えているからなのです。普通の人は、「自分は絶対に悪いことはしない。悪いことをするのは特別な人間だ」と思っています。しかし、実際には、誰でも、たとえ社会的にはどんなに立派な人でも、犯罪者になってしまう可能性や危険性があるのです。そもそも、人間はすべてが立派な人物ではありません。どんな人間でも欲があり、誘惑に負けてしまう弱い部分を持っています。どんな立派な人物でも何かのきっかけで、とんでもない過ちを犯すことがあるのです。とりわけ仲間がいて集団だと、その場の雰囲気の中で安易に犯罪を起こしてしまうこともあります。図らずも経済的に追い詰められたり、あるいは人間関係に追い詰められた状況で、自分を守るため、家族を守るため不本意で犯罪を起こすこともありえます。何か思わぬ犯罪を起こしたり、巻き込まれた時、そんな時、頼れるのは誰でしょうか。弁護士しかありません。山口県光市の母子殺害事件のような、あんな悪徳非道な人間でも世間の批判に負けず弁護してくれる弁護士なら、自分の犯した事件でも、断ることなく引き受けて頑張ってくれるのではないかとの信頼が生まれます。それが弁護士に対する信頼です。弁護士が、山口県光市の母子殺害事件の犯人の弁護を弁護に値しないとして拒否するなら、いざという時、誰も安心して弁護士に依頼できなくなってしまいます。

弁護士は在野でなくてはならないことを知っていますか。

 以前、相談に来た方で弁護士が公務員であると勘違いしている人がいました。しかし、弁護士は公務員ではないし、むしろ公務員であってはならないのが原則です。というのは、弁護士は依頼者のために必要があれば権力とも敢然と闘わなければならないのです。権力からお金や地位をもらっていたのでは、権力と闘うことは不可能ですし、依頼者から信頼されません。逆に、弁護士が権力や社会的地位に少しでも心を奪われた瞬間に弁護士でなくなってしまうのだと思います。

 これはコミュニケーションの問題だと思います。弁護士に対して疑問を感じたら率直に質問して下さい。弁護士を信頼できなと思ったら、我慢していないで、率直に言って下さい。信頼できない弁護士を依頼し続けることは、百害あって一利なしです。本当は、弁護士の方から、定期的に報告するべきなのですが、弁護士はどうしても目の前の事件の処理に追われて、報告がおろそかになる時があります。そういう時は、むしろ依頼者の方から、「どうなっているのか」と尋ねて頂けることがありがたいと思っています。弁護士さんを信頼しているので全部お任せしますと言って下さる依頼者の方がおります。本当にありがたい限りです。しかし、弁護士も人間です。まかせっきりにされれば、事件処理も遅れます。とりわけ、弁護士にとって、依頼者の抱えている問題は、所詮「他人事」なのです。民事の裁判で負けても弁護士がお金を支払う訳ではありません。打撃を受けるのは依頼者です。刑事の裁判で負けても弁護士が刑務所に入るわけではありません。結局のところ、弁護士などと偉そうなことを言っても弁護士業は所詮「助っ人稼業」です。依頼者が一生懸命で「先生なんとかして下さい」と必死になって言って来る依頼者の方は、確かに、困る感じもあるのですが、頼られると「放っておけない」、「この依頼者をなんか助けてあげたい」と思うのも事実です。そういう意味でのコミュニケーションが相互に取れているのが一番信頼関係を築けるのではないかと考えています。

 弁護士と依頼者との間で最も大切なものは信頼関係です。信頼関係が作れない以上、幾ら着手金が高額でも弁護士は仕事を受任しません。また、依頼者もその弁護士がいかに優秀であっても、信頼関係が築けない弁護士を依頼してはいけません。それは、なぜかと言うと弁護士にとって依頼者の抱えている事件は「他人ごと」なのです。民事の裁判で負けても弁護士がお金を支払う訳ではありません。打撃を受けるのは依頼者です。刑事の裁判で負けても弁護士が刑務所に入るわけではありません。刑を科されるのは依頼者です。また、弁護士は、決まった商品を販売したり、メニューどおりの食事を提供するような、依頼者に定型的に決まったサービスを提供するのではありません。弁護士が1つの事件を丁寧にすれば際限なく時間をかけることができますし、簡単に済ませようとすれば最低限の時間と努力で終わらせることも出来ます。加えて、裁判の手続も法律も依頼者には分かりにくく、弁護士が手を抜いても依頼者には分かりませんし、逆に弁護士が一生懸命にやっていたとしてもそれもよく分かりません。このような弁護士の仕事を言い換えれば、「助っ人(すけっと)家業」なのです。信頼関係があって、「この依頼者をなんか助けてあげたい」と思えば、弁護士は際限なくいい仕事をしますが、信頼関係が築けず、「うるさい依頼者だから」とか「弁護過誤で訴えられるかもしれないから」と仕方なしにやっていれば、弁護士の仕事は際限なく雑な仕事になってしまいます。ですから、依頼者と弁護士との関係は信頼関係がなければ成立しえない関係なのです。局面は違いますが、芸術家や工芸職人の仕事に似ています。魂が入っていなければ、時間をかけても駄作になってします。この魂が弁護士にとっては信頼関係といえるものなのです。
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